内容説明
私的所有という考えに仮借なき批判を加えたマルクス。浅薄な自己責任論が強調される今、個人主義を超える“生の技法”=コミュニズムの可能性をさぐる。
目次
第1章 「私的所有」の感覚を疑う(私的所有の正当化;私的所有の正当化にまつわる前提了解;集合性、あるいは集合的身体という事態 ほか)
第2章 “労働者身体”はいかにつくられるのか(資本主義社会の特徴―自然/生命とのかかわりで;わたしを取り囲んでいる社会の「ごくごく日常的な当たり前の出来事」;「巨大な」「怪物」のこと ほか)
むすびに 「集合的身体」のほうへ(『ゴータ綱領批判』における共産主義の第一段階;共産主義の第二段階;「各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて!」 ほか)
著者等紹介
大川正彦[オオカワマサヒコ]
1965年東京都生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士後期課程単位取得満期退学。現在、東京外国語大学助教授。専門は政治理論・社会倫理学
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感想・レビュー
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樋口佳之
23
足場として確保しておきたいのは、ここで打ち出されている、マルクスに独特な─と、とりあえずはいってよいだろう─「自然主義=人間主義」の厚みを受け止めておくこと/「各人はその必要に応じて」の含意を著者の読み解きにおいて語り、社会主義の名の下に行われた蛮行への一つの解答を試みつつ、表題の「いま、コミュニズムを生きる」ことを述べている本だと読みました。2018/03/10
masawo
9
私的所有の観点からマルクスの思想のベースを読み解み解いていく。コミュニズムに焦点をあてたマルクス解釈論といった方向性なので、入門書的な位置付けではないと思う。参考文献が豊富に示されているのはありがたい。著者なりのマルクス観が凝縮されており、なかなか面白かった。2021/03/29
しんすけ
8
金のために人は働くのではない。金のために働くのは奴隷的根性であって人間には不要なものである。マルクスは根底で労働を個々人の能力表現と把握していたようである。本書では、上からの指図で機械的に働くコンビネーションではなく、個々人の意見を尊重して共同化が行われるアソシエーションがマルクスの根底にあったと説く。だが資本主義社会では、それを実現できるのは限られた人間でしかない。99.99999%が奴隷として生きるしかない。生きるために金のために働かざる得ないのが資本主義社会というものなのである。2018/03/04
♨️
3
マルクスを「身体」概念から読んでいく本。わが物として所有・管理していくような身体に対し、自然を享受する・生かされている身体という身体の二面性、および、複数の人間の中で他人の心を感じ合い関わり合う「社会的身体」(「共通感覚」!)という位相を、マルクスのコミュニズムの議論と結びつけつつ読解していく。「働いて得たものは本当にあなただけのものなのか?」「働き方は誰に教わったのか?」「仕事道具は誰のおかげであるのか?」「働きかけた自然をあなたのものにしていいのか?」「だとすれば、あなたが働いて得たものを、2021/04/26
yuki
3
マルクスの哲学的側面に入門させてくれる本。彼の理想は、ルソーからプラトンまで遡り得る、「自然本性」への回帰ではなかったか。ルソーは『エミール』で自然への人間の合一を説き、プラトンは『ポリテイア』で職業をその人の「本性」に従って配分すべき事を言っている。マルクスも同様に、人間の「身体/生命」を徒に改良した結果、全くその「本性」を発揮出来なくなった資本主義の状況に対して、一貫した否定を述べている。そして、彼が理想とするのは、生活が即仕事となり、人々が排他的にではなく、むしろ協働し合う共産主義社会なのである。2021/03/30