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私の上に降る雪は : わが子中原中也を語る from books.google.com
『私はあの子のことを、よくわかってやろうとしませんでした。...中也が詩を作るのに反対しながら、私は一方でお茶にばかり熱中していたんです。』明治四十年、医者の長男と ...
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... 中也の傍に居たのは、母と妻、それに弟思郎だけだったのかも知れない。それ故に、この〈奇蹟〉は、三十数年間も伝えられずに来た、ともいちおうは考えられる。しかし、もう一冊の驚くべき書である、母ふくさんからの聞き書き『私の上に降る雪は(わが子中原中 ...
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... 上に降る雪は-わが子中原中也を語る』で微細にわたり明らかにされている。ぼくはいまそれらの諸論に付加すべきなにものをももってはいない。たんに中也の詩集や作品を読むことでしかこの詩人の内面にふれえない者として、詩人と生活を共にし、あるいは ...
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... 中原中也「言葉なき歌」 」 )「中原中也と立原道造」(初出題「四季派の詩人中原中也と立原道造」)「音楽性について――中原中也の場合」「中原中也との出会い」中原フク述・村上護編『私の上に降る雪はわが子中原中也を語る』(講談社昭和 48 年 10 月) ...
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... 也(のちに緑野)の命名によるものというが(母フクの口述録『私の上に降る雪はわが子中原中也を語る』による。村上護編、講談社刊。以下、タイトル後半部省略)、中也自身は、東京にでてから友人たちに森鷗外を名付け親だと語ることがあったという。謙助は ...
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佐藤泰正 中原中也という場所 74 中原思郎の『兄中原中也と祖先たち』や母フクの『私の上に降る雪は――わが子中原中也を語る』(中原フク述・村上護編)などを読めば、〈家〉というものが中原にとっていかにも重い存在であったことがわかる。それはまた長州 ...
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... 私の青春は嵐に過ぎなかった、時々其処此処に陽の光のちらついた」、詩さながらではなかったか。さても私の境涯の、その最初の門出は「門司の旅館で船を待つ間、船の汽笛が鳴るたびに火のつくやうに泣き出したのであり、「その日はそれに、吹く降るの日で ...
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大岡昇平. [収録単行本] ◇『中原中也』(一九七四年一月十五日、角川書店) ... 私感」、粟津則雄「雑誌雑感」、保昌正夫「「若草」と「やぽんな」と――館の雑誌 ... 上に降る雪は[本]『大岡昇平全集第十四巻』(一九七五年二月二十八日、中央公論社) [初出] ...
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... 中也のキリスト教好きは、やっぱりコマおばあさんが強く影響していたと思う」(『私の上に降る雪はわが子中原中也を語る』)とは母フクの語るところである。かん中原の詩を理解する上で、カトリシズムとのかかわりは最も重要な一側面であろう。もともと彼の ...
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... <中也>といふ命名について、証言がふたつある。中原思郎「未発表資料―三つ」( [復刻版山羊の歌・別冊]麦書房・昭和四十五年九月)と、中原フク述・村上護編『私の上に降る雪はわが子中原中也を語る』とである。中原の出生の当時を語って、名付親は、明治四 ...