内容説明
いまだ批評ではないが、しかしその萠芽を孕んでいるなんらかのイメージ―ひとつの面影、ひとつの名、ひとつの瞬間、ある表情、ある匂い、ある手触り、歩行中のちょっとした閃き、記憶に蘇ってきた風景の、また忘却を免れた夢の断片、ある作品のほんの一行、映画の一シーン、成就されることがなかった希望など。現実と幻想のあいだに、経験と夢のはざまに、現在と過去の閾に漂っている想いの断片が思考の運動を開始させる。私的な記憶が歴史の記憶とせめぎあいつつ出会う場所へ、私たちをいざなうベンヤミンの新編・新訳のアンソロジー、第三集完結編。
目次
アゲシラウス・サンタンデル
一方通行路
都市の肖像(ナポリ;モスクワ;ヴァイマル ほか)
ドイツの人びと
1900年頃のベルリンの幼年時代
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
chanvesa
28
「〈解決される〉ものなどあるだろうか?これまで生きてきた人生のあらゆる問いは、私たちの展望を遮っていた木立のように、手つかずのまま残っているのではないか。 」(一方通行路 この植林は、皆さんで保護しましょう 32頁)読んでいても、深く暗い森をさ迷うような、この指摘を体現するような文章が続く。「考えられたままに表現された真理ほど、貧しいものはない。そうした場合、真理を書きとめても、それは下手な写真にすらなってない。」(同 応急技術援助 121頁)こんな抜書きは何かを言ったことにならないのだ。 2020/09/21
moi
3
ベンヤミンが触覚的なものや、遊戯性を好んでいたのは、ベルリンでの幼年時代に起因するもので、そうした「子ども心」のある人物であったことが偲ばれる。アロイス・リーグルは、時代によって視覚・触覚どちらかの知覚が優勢になるものと論じたが、一個の人間においては、子どもから大人へと成長するにつれて、触覚的なものの捉え方から視覚的なものの捉え方へと移行する、という説もあるかもしれないと思った。私もベンヤミンを倣い、ほんの小さな断片に想起を広がらせ、しかし手仕事のような文章を書ければと思う。2021/03/10
roughfractus02
1
想起は、過去を探りつつ現在に批判を向けると同時に、後ろ向きに未知へと向かう身体とそう向かわせる環境を見出す行為だ。つまり、看板や子供の仕草、時計の細かな動きにふと立ち止まる時、行為は環境とともに自己を作るのである。カントの「人間性」と啓蒙がその質素な狭い部屋ゆえに可能だったという著者は、身体にスパークする思考の断片的な活動を見逃さない。幼年の記憶はベルリンと共にあり、各々の都市は各々の身体を介して歴史にならない過去に一瞬光を当てる。それゆえ、個々の手紙もまた、意味以前の文字のスパークによって読まれうる。2017/02/14
h
0
「1900年頃のベルリンの幼年時代」を読む。これほどまでベンヤミンを身近に感じたことはなかった。蝶を追うベンヤミンの話にハッとした。彼は物事をよく観ている。いっけん読みやすく思えるけど高解像度の圧縮された記述ばかりなので読み込むとなると疲れ果てるし、読書速度ものろのろとしたものにならざるをえない。2019/03/07