出版社内容情報
柳生宗矩(一五七一―一六四六)は,徳川将軍秀忠・家光の兵法師範であった.五十を過ぎてようやくこの道の滋味を得た,という宗矩は,以来次々と伝書を書きついだ.行政官僚への転進を機に,新陰流の技法・理論を集大成して『兵法家伝書』を完成.十余年後に書かれた『五輪書』とともに近世武道書の二大巨峰といわれる.
内容説明
柳生宗矩は、徳川将軍秀忠・家光の兵法師範であった。50歳を過ぎてようやくこの道の滋味を得た、という宗矩は、以後次々と伝書を書きついだ。寛永9年、行政官僚への転進を機に、新陰流の技法・理論を集大成して『兵法家伝書』を完成する。十余年後に書かれた『五輪書』とともに、近世武道書の二大巨峰といわれる。
目次
兵法家伝書(進履橋;殺人刀・上;活人剣・下)
新陰流兵法目録事