出版社内容情報
仙台在住の著者は,被災地の近くであらためて「言葉」とどのように向き合い,何を考えたか.それは,私小説作家として未来への時間の流れを書けなくなる経験であり,日常性=時間を取り戻す困難な過程でもあった.言葉を語るときの態度の大切さ,言葉に刻み込まれた歴史性,震災とこれからの文学,1970年という転換点等について綴る.
内容説明
仙台在住の私小説作家は、被災地の近くで言葉の真空状態に苦しみながら、あらためて言葉と向き合った。本書は、その体験的思索を述べたものである。小説において未来への時間の流れを書けなくなる経験、日常を取り戻すことの意味、言葉を語るときの態度(言葉の姿)、言葉と歴史性、震災と文学の可能性等について綴る。
目次
第1章 喪失感の中で
第2章 日常性と言葉
第3章 言葉の姿
第4章 震災と文学
第5章 畏れということ
第6章 日常を取り戻すために
著者等紹介
佐伯一麦[サエキカズミ]
1959年、宮城県仙台市に生まれる。仙台第一高校卒業後、週刊誌記者、電気工など様々な職業を経験した後、作家となる。著書に『ア・ルース・ボーイ』(新潮文庫、三島由紀夫賞)、『鉄塔家族』(朝日文庫、大佛次郎賞)、『ノルゲ』(講談社、野間文芸賞)他多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
寛生
47
【図書館】「ブックレット」と呼ばれるこの小冊子のような、チイサな、ちいさな書物に、ドッシリと重たい、深い、コトバの世界が宿っている。人間から消されることのない傷痕ー悲惨な戦争、震災、原発事故等、どうあがいても避けることの出来ない事象から人間が受けるものーによって、コトバが宿ることがあるならば、それは、佐伯にとって、30年も40年も「待つ」ことによって浮かび上がってくるコトバなのだ。佐伯は、打ちひしがれる中、コトバが宿るのをヒタスラ待つ。それは、しかし、書き手としてのコトバと対峙していく勇敢な姿でもある。2014/04/24
今庄和恵@マチカドホケン室/コネクトロン
22
遅ればせながらその文章の大ファンになった作家さん(遅すぎる)。著者がもともとは物理を志していたのに文学に進路変更をしたという、科学の眼差しを持つ人であったこと超納得。起きた出来事とそれを自分がどう感じるか、その配合バランスの絶妙さ。そのものズバリ「情理(感情と理論)を兼ね備えた言葉」が震災後を語るには必要だとあり、これまた膝の皿を割る。言葉の専門家としての言葉を求められ、自分は言葉の専門家などではない、自分のやっていることは自分の人生、話をする時は自分の人生の話をする、自分で専門家だという人は専門家では→2023/06/18
fonfon
15
薄いブックレットですが、どしりと重く、辛い読書だった。引用したい箇所が多すぎてかえって安易な選択を拒まれているような感も。もっとも打たれたのは、今回の震災をめぐる言葉として三島の遺作、豊饒の海「天人五衰」の結語「庭は夏の日盛りを浴びてしんとしている...」をあげられていること。三島が原発事故を予見していたとまでは思わないが、我々の芸術というものは書いた本人もわからないものを表現してしまっている、と。また、「月をみつめる」も印象深い。月を見つめることで、「日常」を取り戻してゆこう、という勧め、素晴らしい!2014/05/12
壱萬弐仟縁
14
869年、貞観地震。多賀城の松山には津波は来ず(26頁)。死の下において、人間は平等だ(35頁)。川端康成の『雪国』の読書会を仙台文学館にて(43頁)。面白そうだな。2014/02/25
ぱせり
12
あとがきの「…忘れるなと世間は言うわけですが、一つの切実な声として、忘れる努力をして前へ進んでいく、ということもある」との言葉が突き刺さるようだった。善意(のつもり)が、無神経な心ない言葉になっていないか、単なるお題目になっていないか…申し訳ない気持ちが強く湧きあがってきます。2013/05/12