出版社内容情報
【内容紹介】
本書は、日本独自の伝統芸道である茶の湯のしきたり、名物茶道具のいわれ、茶会の変遷、茶道の精神などについて、その概要を述べたものであります。しかし、むつかしい理論の証明や空虚な概念の叙述を避け、史上の人物、つまり、紹鴎・利休・遠州・足利義政・信長・秀吉らの逸話、人間などを中心に、茶道の礼法や茶道具の由緒について余り関心のない方々にも興味を持たれるように、工夫をこらしてお話しました。(著者「まえがき」より)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
mazda
25
茶室に入るにしても、昔は貴人口とにじり口の2つがあったそうで、身分によって入口が違ったそうです。お茶の世界ではそういった身分を廃し、誰でも平等にお茶を楽しめる、そういう願いがあって今ではにじり口しかないようです。茶道の概念がわかると、実は日本は昔から「平等」な社会を目指していたんじゃないか、と思います。侘び寂びに代表されるように、質素に無駄を省く、そういう意識も大事だと思います。大豪邸に住んでも満たされない、狭くても機能的な家に住めば気持ちも落ち着く。茶道は、生き方そのものを教えてくれている気がします。2015/06/08
Noelle
5
千家由来の茶道の話ではなく、純粋に学術的に能阿弥以来の名茶人を総覧している。能阿弥・珠光から紹鷗・利休への流れ、織部・遠州・石州へとつながる武家の茶、利休・宗旦から三千家に続く町人の茶。江戸幕府の確立にともない、仏教的な茶道観から儒教的な茶道観への変換。そして徳川幕府・封建的身分制度の消滅の結果として、明治以降の家元制度の戦略や実業界の数寄者の茶会まで、ほんと、知りたいことが盛りだくさんに、端的にわかりやすく述べられている。でつまるところ、茶道の精神として肝要なのは「客と亭主の心得」なのですね。納得!2016/12/03
李孟鑑
5
千利休の侘び茶を中心に、茶道の黎明期から現代までを総覧しています。侘び茶は利休が自身の哲学、美学の具現として確立したと思うのですが、時代とともにその精神的な部分が零れ落ち、本来の茶道と正反対の形に帰着して現代に至るというのは、皮肉ながら面白い流れでした。ちなみに作者の桑田氏は利休切腹の理由について、秀吉の進める階級固定型の統治政策にとって、貴賎なしの茶道を唱える利休の存在が相容れなくなったためと解説しています。これがすべてではないでしょうが、興味深く読みました。2014/11/14
富士さん
2
再読。個人的に興味深かったものは”目利き”と”目明け”の概念でした。茶器の価値や謂れを判断出来る目利きに対して、世界のすべてから価値あるものを取り上げる技術を目明けと称するそうです。お茶を介した社交に、禅宗の精神と日本的な柔らぎ加えた茶道は、すべての本質的な平等と相互の思いやりによって、安らぎの場を作ることこそ本旨。美という基準を振りかざして世界を序列づけるのではなく、すべてのことから美を拾い上げてこそであり、それこそが美しい日本だと思います。白人サマに褒められないと現れない美はそもそも日本の美ではない。2017/09/24
Toshiaki
2
茶道は時代によって顔付きが変わる。今なら趣味・娯楽であるが、戦国時代には政治的手段の一つとして重要な位置を占めた。その栄枯盛衰を追うことは、日本における価値観の変遷を辿ることに等しい。命の保証なき戦乱の世、武士達が茶道に熱狂した様が頭をよぎる。2016/11/16