内容説明
東日本大震災で肉親を、友を亡くした人びとの悲しみに、宗教はどう向き合うのか。死者と生者を取り結ぶ心の通路は、死者の無念と向き合い、その語りを聞き、死者を思ってひたすら哭く「祈り」によって開かれる―。悲しみを通して生の深層に辿り着く、あらゆる宗教の根源を考察する思索的エッセイ。
目次
1(神を呼ぼう;傷ついたメシアあるいは魂の傷について;死から始まる物語―「悲しみの知」へ)
2(黒い海の記憶;犠牲のシステムについて;宗教の力―“絆”再考;記憶の森―不幸を記憶するということ)
3(外典『マグダラのマリアによる福音書』の衝撃―十字架のないキリスト教;「マグダラのマリア」論によせて―山妣論の地平から;二一世紀の戦争と平和の宗教的構図―ホロコーストからイスラーモフォビアへ;現代社会と宗教―アメリカ型のキリスト教)
著者等紹介
山形孝夫[ヤマガタタカオ]
宮城学院女子大学名誉教授、宗教人類学。1932年生まれ。東北大学文学部卒業、同大学院博士課程修了。宮城学院女子大学教授、学長を歴任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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おおにし
13
復興支援ソング「花は咲く」は死者の語りの歌であったという指摘には納得しました。今までの葬式仏教では死者に語らせず早く成仏させることを目指していたと言えます。我々は死者の祟りを恐れるあまり、今まで死者の声をきちんと聴いてこなかったのではないでしょうか。津波で亡くなった死者たちの声をしっかり受け止め嘆き悲しむこと。それを黒い海の記憶として未来に向かって伝えていくこと。震災で生き残った人々の魂の傷を癒すためにはこれが大切なプロセスであることをこの本で学びました。2013/11/30
ケニオミ
3
3.11を扱った本ですが、隠れキリシタンの私とっては、聖書外典である「マグダラのマリア」に大変興味を覚えました。また、他の福音書の基となっているマルコによる福音書が書かれた時期がローマ帝国に対する第一次ユダヤ反乱の時期が重なっているという指摘、つまりキリスト教徒がユダヤ教徒のような、帝国に刃向う集団ではないということを示すため、福音書は事実を曲げて表した可能性が大きいという指摘には感心しました。政治的に抹殺されてしまった外典だけを集めた書物はないのでしょうか。真実のイエス像が現れてきそうでワクワクします。2014/01/13
たそがれ
1
死者を記憶することを通して死者と向き合い、死者の悲しみと向き合い、時には死者とともに闘う者となり、人生の究極の知である優しさの未来の創造に向かって近づいていくのです。というフレーズが繰り返し出てきます。死者を記憶し人生の究極の知へと導くという宗教が本来持っていた機能を取り戻さなければならない。と著者は言っておられるようです。人生の究極の知である優しさの未来の創造に向かう飛躍のところがうまく掴みきれませんでした。マグダㇻのマリアによる福音書と犠牲のシステムについては大変興味深く読みました。2015/02/14
hasegawa noboru
0
日本人にとって「先の戦争」とは、ブッシュJRの「対テロとの聖なる十字軍戦争だ!」の呼びかけに、自衛隊海外派兵をもってヘイヘイと応じたアホウな小泉内閣時のイラク戦争のことだとなぜ考えられないのかと金井美恵子さんがエッセイのどこかで書いていたのを思い出しながら「二一世紀の戦争と平和の宗教的構図ーホロコーストからイスラーモフォビアへ」の章を読んだ。主イエスを死者として弟子たちはどう記憶していたかの問題だろう。二世紀の初め頃に書かれたという「外典『マグダラのマリアによる福音書』の衝撃」の章。2014/01/03