ちくま学芸文庫
論理哲学論考

  • ただいまウェブストアではご注文を受け付けておりません。
  • サイズ 文庫判/ページ数 230p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784480089205
  • NDC分類 134.9
  • Cコード C0110

内容説明

二〇世紀哲学の方向を決定づけた著者が、唯一生前に刊行した、前期思想を代表する哲学書。現実世界を分析し、ついで世界の像たる言語を支えにして、世界の可能性を思考の限界まで探っていく。その帰結として、「語れるものは明晰に語ることができ、語れないものについては沈黙するほかない」という結論が導出される。換言すれば、本書は思考の限界・言語の限界を画定することによって、伝統的な哲学問題を最終的に解消せしめるという、壮大な野望に満ちたプロジェクトでもあったのである。ラッセルによる序文、ラムジの初書評を付す。新訳。

著者等紹介

ウィトゲンシュタイン,ルートウィヒ[ウィトゲンシュタイン,ルートウィヒ][Wittgenstein,Ludwig]
1889‐1951年。ウィーンのユダヤ系富豪の家に生まれる。航空工学や数学を学んだ後、フレーゲやラッセルの影響を受けて論理学などを学ぶ。『論理哲学論考』の完成によって哲学問題をすべて解決させたと考え、その後、小学校教師や修道院庭師の職に就いていたが、自己の言語理論への批判的検討を通して新たな転回を遂げ、哲学者としてケンブリッジ大学に復帰した。後年の思想は『哲学探究』へと結実する

中平浩司[ナカヒラヒロシ]
1932‐2002年。東京教育大学哲学科卒業後、実践の場は高校教育(芝浦工業大学中学高等学校)に置き、ウィトゲンシュタイン考察を続けた
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

壱萬弐仟縁

24
4.112哲学の目的は思考の論理的浄化である。哲学は教説でなく活動である。哲学的著作は本質的に解明から成る。哲学の成果は「諸々の哲学的命題」でない。諸命題が明晰になることである。哲学の行うべきことは、哲学がなければ曖昧模糊たる思考を明晰ならしめ、思考の輪郭を明確ならしむることである(56頁)。活動といえば、A.アーレントを思い出す。明晰ということばに切れ味のよさをイメージする。5.63 私とは私の世界である。(小宇宙。ミクロコスモス)(118頁)。私の番組づくりは自分史を紐解くとヒントが引き出せそうだ。2021/05/11

Z

7
に定項を変項に置き換えたとに、変項の範囲を定めるよな概念を形式的概念と名付ける。形式的概念は普通の概念のように振る舞うことができない。exキリンが動物園にいる。この命題のキリンの部分の形式的概念は動物であるが、キリンと同じように「動物」という動物が檻の中に入っている訳ではない。存在、理性、美など様々な形式的概念が哲学において疑似命題を作り出しており混乱を産み出している。適切な命題を作ることにより問題をクリアにすべき。5論理操作詞∨または∧かつ≡同値¬否定⊂ならば、などを用いない命題を要素命題といい、含まれ2019/04/19

Z

7
構成可能性を写像の形式と呼ぶ。このように像は可能的事態を表現でき、現実と比較して真偽を比較する。3.1,2ではシンボル一般に関して考察していたが、論理学的な表記というより限定された議論が展開される。論理学では事態を命題によって表現する。ここでは像を命題、像の要素を命題の要素=単純記号=名前と呼ばれる。そして現実と比較し真偽を割り振るのが真理関数であり、真なる命題の総体が世界である。4,先程の野球の例では二つの野球チームと得点によって像が構成された。それぞれの項には野球チームと数字しか代入できない。このよう2019/04/19

Z

7
1と2,論理学をベースにしているので、言語、シンボルなどの象徴的領域と現実の領域の二分に分ける。象徴的領域を像の領域、現実の領域を対象の領域とよび、この二つの関係が写像関係をなしている。ex.dena6-0広島。←これは野球の結果の像であり、denaが広島に6-0で勝ったことを表している。この像は二つのチーム名とそれぞれの得点という四つの部分で構成されている。この分解できる四つの部分を像の要素。この結合の仕方(並び方)を像の構造、そしてこれから巨人2-1阪神、ヤクルト2-2中日など様々な像を構成しうりその2019/04/19

ハイちん

7
論考を読むのはこれで3回目。相変わらず難解だったが永井・野矢両氏の解説書のおかげで驚くほどスムーズに読み進められた。僕の論考に対する解釈もだいぶ固まって来たように思う。僕たちはたぶん1人1人違う「世界」を生きている。もし「僕」という主体が生きている世界を、他の人が生きている世界と比べることができたらきっと全然違う。だけど僕たちは「世界」を共有することができていて、同じ世界に生きていると言いきれる。それは世界が世界であるからだ。という感じで解釈して、わりとすっきりした気分になった。哲学というものはすごい。2014/12/23

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/19154
  • ご注意事項