出版社内容情報
【内容紹介】
四国の裕福な家庭に生まれた少年が、幼くして生家の破産を経験し、富や権勢の空しさを知り人生の真実を求めて洗礼を受けた。以来数10年にわたるキリスト者としての信仰生活、神学者としての思索を倦むことなく続けてきた著者が、愛とは何か、罪とは何かなど、人生の根本問題を静かに語りかける。「意志としての信仰」を貫いた人生の達人のみが持ちうる説得力に満ちた声が、読者の心にしみ入るにちがいない。
やわらぎ――近ごろ、われわれのあいだで重要視されている「話しあい」とか「対話」とかは、たしかに望ましいことにちがいありませんが、いつも「対話」をさまたげる厚い壁のようなものがあり、容易にはおこなわれません。根本的には、私も私の相手も、そして皆のものがまず神とのあいだに「やわらぎ」を得ることが必要です。人間のあいだの話しあいは、私たちそれぞれが、まず神とのあいだに、やわらぎをもつことからはじまります。神と人間の人格的なやわらぎの成立が前提になります。今日、宗教は軽んじられていますが、人と人との出会いにおいても、宗教の意味は人びとが常識的に考えているものよりはるかに深く大いなるものだと私は考えます。――本書より
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
大雪(おおゆき)
2
わりと古い本(1968年)。講談社現代新書というとこのカバーでしたね。本書はキリスト教の概論と後半は著者の自伝と若者へのメッセージが書かれている。著者(1895~1975)香川県生まれ、明治学院卒。裕福な家庭に生まれたが幼くして実家が破産、富や権勢の虚しさを知り、人生の真実を求めキリスト教の洗礼を受けたという。自由主義神学から出発した著者が自身の信仰の足りなさに悩み、それからカール・バルト(神学者)の神学との出会いから道が開けた、ということが書かれている。2018/03/16
eykkoh1
1
キリスト者の立場からキリスト教の人生論について紹介する本であるが、僕には納得のいかない部分が多くあった。こうである、そうである、という記述しかなく、一番知りたい「なぜ」については何も書かれていない。それは著者がそう言っている通り、理屈を飛躍したところに宗教的体験や幸福があるということなのだろうが、結局その壁を越えていない人間には説得力が無い。2009/03/26