バウハウスの人々―回想と告白

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バウハウスの人々―回想と告白

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  • サイズ A5判/ページ数 416p/高さ 21cm
  • 商品コード 9784622087229
  • NDC分類 707.7
  • Cコード C1070

出版社内容情報

伝説のデザイン学校バウハウスに学んだ関係者60名が語るバウハウス人の活動と思想の真実。戦中に自由を追求した表現者の貴重な史料第一次大戦の敗戦から間もない1919年、ドイツ・ヴァイマールに革新的な造形学校がつくられた。その名も「バウハウス(建築の家)」。創立者グロピウスの宣言「あらゆる造形活動の最終目標は建築である。建築家、彫刻家、画家たちよ、我々は手工作に戻らなければならないのだ」の言葉に触発された才能ある若者たちが、世界中からこの学校を目指してやってきた。
ドイツの伝統的な職人養成制度に倣い、教師・技術指導者・学生を、マイスター・ゲゼレ・レアリングと呼び、教師たちは知識や技術だけでなく、感覚、感情、精神にも働きかける全人的な教育を志向して、独自の授業を開発した。それゆえバウハウスでは、学生も教師も一緒になり、パーティーやお祭り、演劇や演奏会の活動にも熱中した。
グロピウスの理念に応じ集まった綺羅星のごときマイスターたち、ファイニンガー、イッテン、クレー、カンディンスキー、シュレンマー、モホイ=ナジ… 誰もが芸術上新しい道を歩もうとしている人々だった。そして、この共同体に暮らす学生たちは、男子は長髪、女子はミニスカートにショートカット、襟もつけず、靴下もはかずに町を歩き、ヴァイマールの人たちから「バウハウス人」と呼ばれていた。
この書には、そんなバウハウス人、55人の生き生きとした証言・追想が収められている。両大戦間期、デッサウへの移転を経て、14年の間だけ実現したこの伝説の造形学校の日々を物語る、かけがえのない記録である。

アルフレート・アルント  バウハウス落成式のあいさつ──デッサウ、1926年
エッカート・ノイマン  [序文]誰もが自分自身のバウハウスを持っていた
ヴァルター・グロピウス  バウハウス理念──新しい教育基盤のための闘争
ヨハネス・イッテン  ヴァイマール・バウハウスの重要性
ブルーノ・アドラー  あの頃のヴァイマール
ヨハネス・モルツァーン  一通の手紙から
ゲルハルト・マルクス  私のヴァイマール短期滞在
フェリックス・クレー  ヴァイマール・バウハウスの思い出
パウル・シトロエン  バウハウスでのマスダスナン
カール=ペーター・レール  ヴァイマール州立バウハウスの理念と形態とその時代
アルフレート・アルント  いかにしてバウハウスヘたどりついたか
ロベルト・ミヒェル  ヴァイマールの隣の家で
ヘルタ・ヴェッシャー  バウハウス以前及び前期におけるヴァイマールの画家
ハンス・ハッフェンリヒター  ローター・シュライヤーの舞台工房
ローター・シュライヤー  新たな世界への希望
クルト・シュミット  機械のバレエ:バウハウスの作品
ヴェルナー・グレーフ  ヴァイマール・バウハウスとデ・ステイル 1922年の構成主義者会議
ジクフリート・ギーディオン  ヴァイマールのバウハウス週間 1923年8月
フェルディナント・クラマー  バウハウスと新建築
ギュラ・パプ  自由主義のヴァイマール
サンドール・ボルトニュイク  バウハウスのこと
ゲオルク・ムッへ  ヨハネス・イッテンの75歳の誕生日に寄せて
マリアンネ・ブラント  若い世代への手紙
エーリヒ・リスナー  1923年、バウハウスをめぐって
ヴァルター・デクセル  「バウハウス・スタイル」――ひとつの神話
エーリヒ・ブッフホルツ  バウハウス・バウハウス・バウハウス
ルー・シェーパー  回顧
ハインリヒ・ケーニッヒ  バウハウス 過去と現在
ヘレーネ・ノンネ=シュミット  インタビュー
カール・マルクス  ちょっとヨースト・シュミットのところで
マックス・ゲプハルト  バウハウスの広告とタイポグラフィー
ハーバート・バイヤー  グロピウスへの賛辞  
フリッツ・ヘッセ  デッサウとバウハウス
グンタ・シュタードラー=シュテルツル  バウハウスの織物工房について
ジクフリート・ギーディオン  バウハウスの実用的な成果について
クサンティ・シャヴィンスキー  バウハウスとその変化
トゥート・シュレンマー  生き生きとしたバウハウスとその舞台芸術
ニーナ・カンディンスキー  インタビュー
ウルズラ・シュー  カンディンスキーの教室で
ヴィル・グローマン  バウハウスと現代芸術
ヨゼフ・アルバース  バウハウスでの13年
T・ルックス・ファイニンガー  バウハウス──ある理念の絶えざる発展
ハンネス・ベックマン  設立の日々
ルートヴィヒ・グローテ  バウハウスと機能主義
ゲオルク・ムッへ  バウハウス碑文
マックス・ビル  継続は必然である
ルチア・モホイ  解釈の問題
ラディスラフ・ズトナー  南の隣人から見たバウハウス
エミール・ラッシュ  バウハウスとの共同作業
グスタフ・ハッセンプフルーク  今日の観点から見たバウハウス
ハワード・ディアスタイン  デッサウ・バウハウスにおけるミース・ファン・デル・ローエの教師活動
フランク・トゥルーデル  一人のバウハウス人の思い出
ピウス・E・パール  アカデミーで学んだ建築学生の経験
クルト・クランツ  バウハウスでの教育法とその後
アルフレート・ホッペ  ひとつの例
リチャード・コッペ  シカゴのニュー・バウハウス
フーベルト・ホフマン  一九四五年以後のバウハウスの復活
テオ・オットー  理念─形態─目的─時代

向井周太郎  [解説]バウハウス──〈生〉の全体性への問い
人名索引

エッカート・ノイマン[エッカートノイマン]
編集

向井周太郎[ムカイシュウタロウ]
翻訳

相沢千加子[アイザワチカコ]
翻訳

山下仁[ヤマシタヒトシ]
翻訳

内容説明

マイスター(親方)、ゲゼレ(職人)、レアリング(徒弟)、それぞれのバウハウス。第一次大戦後、デザインによる社会の変革を夢見て誕生し、わずか14年間で活動を終えたこの伝説の造形学校とは、いかなる共同体だったのか。54人の当事者たちの追想がまざまざとその実際を物語る、貴重なドキュメント。

目次

バウハウス理念―新しい教育基盤のための闘争
ヴァイマール・バウハウスの重要性
あの頃のヴァイマール
一通の手紙から
私のヴァイマール短期滞在
ヴァイマール・バウハウスの思い出
バウハウスでのマスダスナン
ヴァイマール州立バウハウスの理念と形態とその時代
いかにしてバウハウスへたどりついたか
ヴァイマールの隣の家で〔ほか〕

著者等紹介

ノイマン,エッカート[ノイマン,エッカート] [Neumann,Eckhard]
1933年ケーニヒスベルク生まれ。グラフィックデザイナー、デザイン史家。マンハイム応用科学大学コミュニケーション・デザイン教授。1953年からベルリンの広告専門学校でデザインを学んだ後、1956‐57年にウルム造形大学の基礎課程を修了する。1957‐71年、フランクフルト・アム・マインのスイス・エア・ドイツ支局の広告責任者を務める。1965‐67年、ウルム造形大学でコミュニケーションの歴史を講じる。1973‐75年、ブラウンAGでコミュニケーション・デザイン部門の責任者を務め、1975‐85年には、ドイツ・デザイン協議会のデザイン促進部門の責任者を務める。2006年3月24日、フランクフルト・アム・マインにて死去

向井周太郎[ムカイシュウタロウ]
1932年東京都生まれ。デザイナー、デザイン教育者。武蔵野美術大学名誉教授。基礎デザイン学会会長。1955年、早稲田大学商学部卒業。同大学院在学中にJETROのデザイン留学制度でドイツ・ウルム造形大学の基礎課程(1956‐57年)を修了。帰国後、通産省産業工芸試験所意匠部研究生、豊口デザイン研究所所員(インダストリアル及びインテリア・デザインに従事)を経て、ウルム造形大学(1963‐64年)及びハノーファー大学(1964‐65年)のインダストリアル。デザイン研究所のフェロー。1967年、武蔵野美術大学に基礎デザイン学科を設立

相沢千加子[アイサワチカコ]
山形県生まれ。立教大学大学院文学研究科(ドイツ文学専攻)博士課程単位取得退学。1992年から二年間、ドイツ学術交流会(DAAD)の奨学生として、ドイツ・フランクフルト大学、およびベルリン自由大学に留学。帰国後、帝京科学大学非常勤講師などを経て、貿易会社に勤務

山下仁[ヤマシタヒトシ]
1960年神奈川県生まれ。大阪大学大学院言語文化研究科教授。1983年、立教大学文学部卒業。同大学院文学研究科(ドイツ文学専攻)在学中にドイツ学術交流会(DAAD)の奨学生として二年間、ドイツ・デュースブルク大学文学部に留学。1990年に帰国後、1992年より大阪大学言語文化部専任講師を務め、2013年より現職(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

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