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思ひの儘の記 from books.google.com
... 儘、世に永らふべき心地もあらざりけらし。せめての遺る方なさに、御後の世をもと、思ひ侍る儘に、斯かる姿となり侍れども、露の命の消え難くて、斯からん世を目の當りに見侍る事よと、袖を絞られけるに、我も、先帝の御情の忘られ難くて、御跡をも慕はま ...
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... 儘の記、用捨箱、向岡閑話、撈海一得、松陰随筆、槻の落葉信濃漫録の六種を収める。思ひの儘の記四卷著本書は、禁中の故実に精通している著者の見聞随筆だけあって、他所には一寸見られぬ記事も多く、殊に光格、仁孝、孝明三朝の事蹟に関しては、本書 ...
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... 思ひ出る儘の記秘露共和国アンデス山鉄道( *写真)文苑俳句口絵ひかへ帳三別一五一六飛花落葉三富士山眺望( *写真)論説赤坂柴田常吉口絵家庭及叢談処世諷刺日本農業の将来に於ける稲作横井時敬 1 - K 工業の発達は進取の気象と学術の進歩と併行するに非れ ...
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... 思ひの儘の記』四三頁以下に、「慶長六年定の青表紙は、秀吉より定めし祿制なるべし」としてその概略が記されている( 2 )。それによると、全体が五つのグループに分けられ、各グループの家禄の合計額と家禄を賜与されている家名が記されている。地下官人 ...
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... 思ひの儘の記」その他にも摂家は内々外様に分類していない。しかし近世初期には、結番はないにしろ内々外様の別はあった。「涼源院記」寛永八年(一六三一)三月十九日条によると、長橋局より武家伝奏日野資勝へ、四月一日と二日の禁中御能伺候の触について ...
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... 思ひの儘の記』(日本随筆大成第七回吉川弘文館一九二七)一九頁。なお、「思ひの儘の記』は近代に書かれた随筆で、朝廷・公家の幕末の様相を知ることができる。勢多は元検非違使。九頁。なお、『譚海」は「巷談街説を主とした随筆」(「随筆辞典」五解題編 ...
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... 思ひの儘の記』の中で、この傳說を 4 昭和三年秋筆者の調査による。^立出て矢のね拾はん志やかの花 3 『思ひの儘の記』神矢の根の條註。文中にはま考が此地を通った時の句として次の俳句を擧げてゐさ。 2 阿部正巳氏の談に據る。この地方の文欺に就ても氏 ...
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... 思ひの儘の記」巻一にこの二條殿落魄の状を記した。おそらく宣胤卿記に(註)このような衰乏の境涯で、殿中に家務を総理する殿上人も諸大夫も無人の最中であったから、由緒の歪曲にも系譜の濫用にも抗議し拒否する実力がなかったようである。のみならず庶流 ...
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... 記」(続群書類従完成会)の頭の註記には内々とあった。この家は「思ひの儘の記」にも、また太田亮氏の「堂上家系譜大成」にも外様であるよしを註してあった。このほかにも諸書の記載が必ずしも一致せぬ場合、註記洩れなどもあった。のみならず新家のうちに ...