ゴドーを待ちながら

ゴドーを待ちながら

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  • サイズ B6判/ページ数 196p/高さ 20X14cm
  • 商品コード 9784560034965
  • NDC分類 952
  • Cコード C0374

出版社内容情報

 今世紀を代表する劇作家サミュエル・ベケットの代表戯曲選集。これまでの全集版に大幅な改訂訳を行ない、最新のベケット研究に基づいて新たに注・解題を付した決定版である。 【全巻内容】 1 ゴドーを待ちながら 2 勝負の終わり/クラップの最後のテープ(勝負の終わり・クラップの最後のテープ・行ったり来たり・わたしじゃない・あのとき) 3 しあわせな日々/芝居(しあわせな日々・芝居・言葉と音楽・ロッカバイ・オハイオ即興劇・カタストロフィ)

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

SOHSA

58
《購入本》初読みながら一気に読了。なかなかに興味深く、感想は難しい。万華鏡の中の光の乱反射を覗いているような印象。合わせ鏡の奥に無限に広がる空間の中で光の断片が次々とその形象を変え、再び戻ることがない。作品中に都度現れる人や物は同一ではなく、繰り返される場面はやはり同様には繰り返されてはいない。作者は読み手に作品を放り投げ、読み手はそれを各々に受け止め或いは受け止めないことが許されている。答えは用意されない。幾通りにも読め、また読むたびに見える景色は異なる。そこに時間は流れていない。再読の誘いに勝てない。2018/09/07

藤月はな(灯れ松明の火)

47
ただ、ひたすらに自分達も知らないゴドーを待ち続ける二人の男の話。男たちはただ、一点に留まり、ゴドーを待つ。途中で俗物だが裕福なボゾーと彼に「豚」として使われるラッキーと出逢う。しかし、次に逢った時はボゾーは盲目となっており、助けを求める彼の声を二人はゴドーを待つために助けず、挙句の果ては足蹴にさえする。そこには助けを求めても救いはないという不条理という本質の一つしかない。後のアベルとなりそうな贔屓されている男の子や男たちが終盤で「ゴドーが来なかったら首を括ろう」と言っている所からゴドーとはGODだろうか。2013/10/02

NAO

32
「ガーディアン必読書1000」に入っている『モロイ』を読もうと思ったら、『モロイ』と『ゴドーを待ちながら』は密接に関わり合っているという。『ゴドーを待ちながら』もいつかは読んでみたいと思っていたので、二冊読んでみることにした。二人の男が、田舎道でゴドーを待ち続けている。だが、彼らは、待つということを言い訳にして何もしていないようにも、新しいことを始めようとせず一つのことに縛られ続けているようにも見える。「もう行こうよ」「だめだ」永遠に続きそうな噛み合わない彼らの会話は、不条理劇なのか、コメディなのか。2015/07/27

アドソ

23
何だろう。感想を述べることで何かを試されてるような気にさせる本。えー、これは今あるコンビ漫才のルーツでしょうか。いや、違いますね。人を人たらしめているのは記憶であり、今日と明日の連続性、そして自己同一性。これらをすべて排除した演劇は可能なのか、と挑戦状を突きつけるようなアンチ演劇・・・かな。「忘れる」ということによって人は永遠を手にすることができるのかもしれない。「天才の世界」の中で湯川秀樹が言及していたような気がするけど、はてどういう文脈だったか。2014/11/13

くまさん

21
 「世界の涙の総量は不変だ。誰か一人が泣きだすたびに、どこかで、誰かが泣きやんでいる。笑いについても同様だ」と、奴隷を従えるポッツォは言う。涙は涸れて、また溢れ出す。笑みはこぼれて、やがてほどける。神様がそう定めたのなら、人生の虚実や哀歓の比率もまたあらかじめ決められているのだろうか。「ゴドーを待つのさ」「ああそうか」という会話に空虚感が漂い、気晴らしとしての生がむき出しになるとしても、エストラゴン(go)とウラジーミル(d)が求め続けた何かは、彼らのあいだにすでに存在していたのではないか。そう思われる。2018/08/10

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