内容説明
戦乱止み、文化の花開く泰平の世へ。家綱・綱吉から吉宗を経て家治まで、一七世紀半ばからの百年余をみる。安定には安定のための仕組みがある。武威重視の価値観を転換する、どのような政策が打ち出されたのか。新田開発や流通網の整備、歌舞伎・相撲などの娯楽の広がり、朝鮮や琉球との往来など、躍動する時代を存分に描く。
目次
第1章 東アジアの動乱と平和の訪れ
第2章 江戸幕府の権力機構
第3章 新たな価値観の創出
第4章 豊かな経済、花ひらく文化
第5章 「構造改革」に挑む―享保の改革
第6章 転換期の試み―田沼時代
おわりに―格差社会の広がり
著者等紹介
高埜利彦[タカノトシヒコ]
1947年東京生。1972年東京大学文学部卒業。東京大学史料編纂所所員、学習院大学文学部助教授を経て、学習院大学文学部教授。専攻は日本近世史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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壱萬弐仟縁
27
泰平:世の中が穏やかに治まること(ⅰ頁)。どうも社会安定には文化を庶民がエンジョイしていることが条件になっているような気がする。現代も文化の自由が奪われれば不安定になろう。あと地震や噴火(富士山に浅間山など)といった自然災害や、人災の大火、疫病がないとか。家綱政権安定は、1665年に証人制度(譜代大名を除く35大名に、重臣の長子を江戸の藩邸に人質として置かせた制度)を廃止したことに表れている(40頁~)。綱吉では武威→学問文化重視へ(74頁~)。 2015/08/17
coolflat
16
四代家綱~十代家治まで。大陸中国では明清交代期にあたる。中国との連関性。武断政治から文治政治への転換は、家綱が行い、綱吉が徹底したが、これは中国と関係する。明滅亡は1644年。並行して家綱が文治政治へ転換した。中国の秩序が安定するのが三藩の乱終結~鄭氏台湾滅亡に至る1683年。綱吉の時期にあたるが、もはや東アジアにも国内にも不安定要素がない状況で、軍事指揮権を発動し、将軍の絶対性を示す権力編成の方式は相応しくない状況になった。綱吉は武威を後退させ、忠孝・礼儀を尽くした身分秩序維持による主従制の安定を図った2017/12/04
yamahiko
15
将軍と彼を支える側近が何を目指そうとしたのか、朝廷をどのようにコントロールしようとしたのか。本朝の周辺とどのにように付き合おうとしていたのか。近世後半に至るまでの基本的な流れを確認できました。2016/09/17
hoiminsakura
13
主に徳川家光から吉宗を経て田沼意次とその失脚までの天下泰平の時代について、明、清、朝鮮、琉球、アイヌ社会との関係を含めて論じる。武士の価値観が変わっていく様子、経済や文化が発展するに連れて幕府の財政が窮乏する過程、朝廷の戦略などが理解できた。岩波の日本史年表にマークを付けながら読んだが、田沼時代あたりになると一揆、打ちこわし、強訴の色合いが濃くなり、天下泰平の維持が困難になる様子が伺えた。あとがきの流人や宗教に対する暖かさ、おおらかさを社会の情けだったのではと想像する文章にはホロリとさせられた。2022/10/27
fseigojp
11
ポルトガルも去り、中国も明清交代が終了し天下泰平となる ポルトガルを去らしめた武力が、急速に陳腐化していく2020/04/21